原発事故被災地をめぐる(福島)

現地見学 Fコース

 

 Fコースは8月3日(日)午後3:30に閉会集会が始まる時間、明治大学をバスで出発。福島県いわき市磐城湯本町のいわき湯本温泉「ホテル美里」に宿泊。翌4日(月)、朝8:00に宿を出て、東日本大震災・福島第一原発事故の被災地巡見に出発した。

 案内は原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員など、この種の団体の多くの肩書きを持たれるI氏が務めてくれた。

 

死者63人の犠牲を出した いわき市久之浜漁港

 最初に訪れたのは、いわき市久之浜漁港。大津波の被害を受け、死者63人の犠牲を出した所という。

 

 漁船など大分復帰して操業しているようだが、かつての面影はなく、現在更地となっている場所が、どうであったか思い出すこともできないという。鮟鱇(あんこう)など、美味しい魚が水揚げされていたという。

 

 広野町の「Jビレッジ」というサッカー施設は、日本代表のトルシエ、岡田両監督時代に練習場ともなっていたという。高校サッカー部の男子寮・女子寮も設けられていたが、今では静岡県に移っている。

 双葉町議会が1991年に福島第一原発の7・8号機の増設を求める決議を上げると、東京電力は1994年に130億円をかけてサッカー練習場を建設し、福島県にプレゼントするという計画を発表した。ただしその130億円は電気料金に上乗せされることが県議会で明らかにされた。ということは、「Jビレッジ」は東電に電気料金を払っている者によって造られたということになるのであろうか。

 事故発生直後から、事故収束のために働く労働者らの集結センターとなっている。労働者に関しては従前からの多重下請けや偽装下請け構造が問題となっており、ひどい労働条件やピンハネが彼らを苦しめ、彼らの被曝や新たな事故発生の危険性の問題もある。

 

 トイレ休憩で立ち寄った「道の駅ならは」は閉鎖され、双葉町警察臨時庁舎となっていた。放射能を計る線量計が設置されており、0.1マイクロシーベルトを示していた。地上1mくらいのもので、地面に近い所で計ると、線量はさらに上昇する。

 広野町は人口4000余人を抱え、福島県全59市町村のうち唯一の地方交付金不交付団体という。東電広野火力発電所があるためである。2011年9月30日に帰還宣言が出され、2012年の春から除染が開始され、元住民の3割が戻ったという。

 

富岡駅周辺

 

楢葉町は除染が終了したが、まだ帰還宣言ができずにいる。家の中には泥棒が侵入しており、鼠の巣ともなって、ひどい状態が想像される。

 

 ホームページでアンケートを採った所、49歳以下で「戻る」と答えたのは10%弱であった。一番帰りたがっている50代以上は30~40年後にはいなくなる。したがって「復興」といっても、「3.11以前」には戻らない。

止まったままのミチ美容室の時計

 

 富岡町は除染が始まったところで、「3年間時間が止まった町」となっていた。富岡駅周辺の被災地を歩いたが、ミチ美容室の時計は2時48分で止まっていた。

 

 津波で流された自動車が家の中に乗入れたり、ひっくり返ったままになっていたり、家自体が別の場所から流されて移動して来ているものなど、様々な惨状がそのまま取り残されていた。

除染された放射能汚染物を入れた黒いフレコンバッグ

 

 除染された放射能汚染物を入れた黒いフレコンバック(フレキシブルコンテナバック)も間近に見ることができた。常磐線で一番海に近い駅が富岡駅らしいが、運行を再開するためにはレールの敷石の入れ替えが必要で、10年はかかるという。


 国道6号線を北上すると「帰還困難地区」に入るため、検問所があり一般車両は通交禁止となる。内陸の方ヘそれて夜ノ森地区に入ると、道路を挟んで、右手が「帰還困難地区」として道路や家の玄関口が閉鎖され、反対の左手では除染が進んでいるという光景が見られた。

 川内村へ抜ける県道36号線の途中にある滝川ダムの手前の橋の上から海の方を望むと、福島第一原発が見える。当然、近づくことはできないので、ここくらいしか眺められる場所はないという。夜ノ森地区に戻り、有名な桜並木を抜け、楢葉町の宝鏡寺を目指す。


富岡駅

 

 途中、宝鏡寺住職で反原発運動を40年間続けて来られた早川篤雄氏の所有地に立ち寄る。農業は孫に嗣がせるつもりでいたが、今回の事態に至り、最初に放射能汚染ゴミの仮置き場に土地を提供した。

 フェンスが張り巡らされ、「除去土壌等保管場所」として、名称は「楢葉町大谷②地区仮置場」とされていた。フレコンバックはそれと分からないように、全面青いシートで覆われている。


 原発事故直後、運営する福祉施設の14人の障害者や職員らと共に、いわき市の伊東氏の元に避難された。普段45分もあれば到着する35号線(山麓線と通称する)で3時間かかったという。避難者訴訟の原告団長も務められている。

 ところでフレコンバッグの耐久年数は4、5年という。まだ恒久的放射能汚染物質置場をどこにするかが決まっていない。バッグが破損すれば改めて除染作業が必要となる。大変なことであろう。


夜ノ森地区の帰還困難地区

 

 宝鏡寺は600年続く浄土宗の古刹であった。本尊の阿弥陀如来立像は盗難予防のため、解体して早川氏の仮住まいの押し入れにしまわれている。

 

 本堂正面には「釈迦牟尼如来」の木札が置かれていた。寺も孫に嗣がせようと考えてはいるが、この地ではなく、いわき市にでも土地を求めて移転せざるを得ないであろうが、それも資金問題もあり、不安は隠せないようだ。


 最後の見学地は、火力発電所を近くに眺めることができる天神崎公園であった。展望台や天神原遺跡があったが、前月、下見に来たときには入れないように規制されていたという。コンクリート造の四脚の屋根付の建造物はロープで規制されていた。足元が破損しており、今にも折れそうになっている。

 遺跡は1962年に北田神社所有の畑地を耕作していた山内茂が土器棺1基を掘り出し、県立富岡高校教諭木暮幸雄に届け出て、その存在が知られるようになった。1979年に天神岬スポーツ公園の建設計画が起こり、発掘調査が行われたという。弥生時代の集団墓域群である。岬から見下ろす地域では逃げ遅れた11人が犠牲となったという。



 今回は原発による被災地域を南の方から訪ねることができた。次年度の歴教協全国大会は仙台を会場とした宮城/東北大会となり、福島県の原発被災地を北から訪ねるコースも用意されている。是非それにも参加して、1年後、被災地がどうなっているか、確認したいと思う。


天神崎公園から東電広野火力発電所を望む

 

(神奈川歴教協 T.I.)



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