韓国ツアー参加記

 女優・有馬理恵さんと行く 韓国「慰安婦」問題を考える

韓国 慰安婦問題を考える
なくなったハルモニ達の胸像

 

 8月13~16日、「女優・有馬理恵さんと行く 韓国『慰安婦』問題をかんがえる」3泊4日のツアー(富士国際旅行社企画)に参加した。

 

 参加理由は、主に二つ。

(1)有馬理恵さんによる「慰安婦」を扱った一人芝居を韓国で見る。 

(2)「8・15」(光復節)を韓国で迎える、である。


日程は次の通り。

1日目― ①ナヌムの家
2日目― ①国立ソウル顕忠院(墓所) ②西大門刑務所跡 ③タプコル公園
  ④「戦争と女性の人権博物館」 ⑤高麗大学高の李先生による講演・懇談会
  ⑥踊りの劇観劇
3日目― ①韓国女性人権振興院の韓さんによる講演・懇談会
  ②有馬理恵さんによる講演・朗読・一人芝居
4日目― ①南大門市場 ②北朝鮮との軍事停戦ライン付近


 8・15光復節70周年を迎える韓国、ソウルの街の主な通りには、行政の手によって国旗が掲揚されていた。

 現地ガイドの辛さんは、「ある日突然町中に国旗が掲揚されていたのでびっくりした。」と話していた。韓国では大きなお祝いの日(休日となっている)なのだ。


 とにかく大変密度の濃いツアーであったので、「慰安婦」関係の部分だけふり返ってみる。



ナヌムの家訪問(8月13日)


 前回私が訪れたときから10年ぐらいたったため、亡くなったハルモニ達の胸像がたくさん並んで私たちを出迎えてくれたのには驚いた。終戦当時15才としても85才、しかも人一倍苦労した人生だったし、日本政府からの謝罪も補償もないままで、きっと辛い気持ちのまま亡くなったハルモニが多かっただろう。


 隣接する博物館は改築中で入ることはできなかったが、ハルモニが4人も出て来てくれた。どのハルモニもおしゃれで、ツアー参加者の一人は「すてきなおばあちゃん」と表現していた。もちろんそれは外見だけのことではない。辛い経験の上に「自分」をしっかり持った人達だからだ。


 姜日出ハルモニは、体全体で怒り、訴えていた。

 「安倍(首相)は、我々が死ぬのを待っているのか。くやしい。」と、何度も何度も。そして「自分は中国に行き(連れていかれ)、故郷へ戻ったら親も兄弟もいなかった。」と。

 私は、「自分も安倍に対して同じように怒っている。日本に帰ったらそれを安倍に伝える。」と話した。帰国してすぐ(時々出しているのと同様)はがきで姜ハルモニの訴えを書いて投函した―ポツダム宣言を読むより読みやすいと思うけれど、読んでるかな…、といつも想像しながらの投函だ。


 日本語の達者なハルモニもいた。「今のあなた達に罪はない。」「歴史上(慰安婦は)ない、と言っている人達が来ればいい。」と話していた。1995年発行の日朝協会埼玉県連合会『証言「従軍慰安婦」-ダイヤル110番の記録―』によれば、元兵士で自分は慰安所を利用したとか見たと言う人は結構いたようだが、実際にナヌムの家を訪れた元兵士や政府の人はいないそうだ。


 

 ナヌムの家について (「歴史館」パンフレットより)

 

 日本軍『慰安婦』被害女性が共同生活している空間、それが『ナヌム(分かち合い)の家』です。 

 1992年、仏教界を中心に集まった募金をもとにソウル市内に『ナヌムの家』が作られました。1995年には土地と建物の無償協力により京畿道廣州市に移転をしました。2000年からは社会福祉法人として支援者からの後援によって運営されています。

 

 高齢になったハルモニたちはナヌムの家で日々の訪問者たちと豊かな自然に囲まれながら余生を送っています。現在までに韓国国内では238人が被害申告をし、3名(2015年4月現在)生存されておられます。平均90歳のハルモニたちが現在10名暮らしています。

 生きている歴史、ハルモニたちの安息の場所がナヌムの家です。

 

戦争と女性の人権博物館(8月14日)


 ナヌムの家の博物館が改修中だったため、その代替として見学した。『歴史地理教育』2012年12月号(No.798)』に特集があった所だ。


 はじめにDVD『Butterfles Fly Toward Peace (蝶、平和へ羽ばたく)』を見た。沖縄のペン・ポンギさん、カン・ドッキョンさんなど5~6人が登場し、証言していた。また、韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミョンオクさんが、「日本政府の謝罪と補償を求める。1992年から一度も回答がない。自分のことだと思ってほしい。」と話していた。

 そう、自分のことだと思えば、こんなに辛く、ひどい扱いはないと誰もが怒るはずだ。他人事だと思っているから中途半端で相手をすごく不快にさせることしかできないのだ。


 2つめのDVD『少女の物語』は、ジャワのスマランへ連れて行かれたチョン・ソウンさんの物語だ。

 アニメ (人形)で表現したとても分かりやすく、時間も短いもので、これを見せたら子どもや良く知らない人にも分かりやすいだろうと思った。言葉・話だけでは分かりにくい慰安所や「慰安婦」のさせられたことも視覚に訴える表現方法だから。


 次はいよいよ展示資料の見学だ。慰安所を見学者が追体験できるような構造になっている。入口で借りたイヤホン付きの説明は、もちろん日本語で、展示のところについている番号に合わせるとその展示について解説してくれる。

 次の予定があり、見学時間が限られていたので、すべての展示や解説をじっくり見たり聞いたりはできなかったのだが、分かりやすい展示がされていた。韓国人見学者も多く、私は気がつかなかったのだが、若者が自分より若い人に説明をしている姿が見られたそうだ。こうして、「歴史」が引き継がれていくことは素晴らしと思う。

 

 ここでは、「蝶」「黄色」がシンボルとなっている。


戦争と女性の人権博物館 シンボルの蝶
入口手前に掲示されていたメッセージの書かれた蝶

 

 戦争と女性の人権博物館について (「同館」パンフレットより)

 

 戦争と女性の人権博物館は日本軍「慰安婦」問題を解決するために活動する空間です。また、現在も続いている戦時性暴力問題を解決するため連帯し戦争と女性への暴力のない世界を作るため行動する博物館です。

 

 【この博物館を運営しているのは、1990年11月から活動を始めている韓国挺身隊問題対策協議会。】 

 

韓国女性人権振興院の韓さんによる講演・懇談会(8月15日)


 前日の李先生による講演と同じサレジオと名前のついた研究所のような建物の一室(李先生の研究室)で行われた。講師は韓恵仁さん。韓さんは北海道大学に留学した経験のある女性で、流ちょうな日本語で話してくれた。


 韓さんは前日ソウルで行われた「8・14国際シンポジウム」に出席したそうだ。1991年に初めてキム・ハクスンさんがカミングアウトした8・14を記念して開催され、200人ぐらいが集まったとのこと。韓国では、慰安婦問題だと与野党が共同できるそうだ。

 8・15のテレビニュースでは、日本大使館前ではプラカードを持った人たちが集まり、安倍の写真に火をつけて抗議する人達の姿が報道された。(日本でも報道したが、現地ではもっと大きな報道だった。)

韓国では、日本政府の基金を貰わなかった代わりに政府が元慰安婦の方々に生活の補償をしている。生活保護費や医療費だ。


 「研究」では、国の責任や強制連行の有無が問題となる。韓さんは、日本における論文や雑誌に掲載された文章を丹念に分析して、グラフ化して表示してくれた。

 そのグラフには3つの山がある。1997年・2007年・2015年だ。大きな山をつくるもの(Aラインと名付けておく)は、「国の責任がある」という論調のもの。Aラインと同じピークを持つが、少し低い山を形作るのはBラインで「国の責任はない」という論調のもの。それらよりずっと下の方でほとんど変化のないラインを描くのはCで「新しく発表された論文」である。


 3つのピークにはわけがある。2015年を見ると、日本の正論を作り上げようとしてる勢力が、BラインをAより上にさせようとしている。つまり、強制連行はなかったという「正論」を作り上げようとしている。

 裁判では、「強制連行」は罪になるが、「性奴隷」は罪にならない。資料では「強制連行」の事実は分かるが、日本政府は「慰安婦」一人一人の個別の資料を求めているとのこと。そんなのは無理だ。街を歩いていたり、騙されて連れてこられた一人一人にきちんとした資料などあるはずがないのに!

 

 慰安所がつくられたのは1933年が始まりで1939年がピークだった。1937年には、酒保規定改定により慰安所規定が作られた。もっとも1932年上海では元々あった慰安所を軍が既に利用して始まっていた。

 作った理由の主なものでは、兵士の士気向上や性病予防があった。北海道では労務者の慰安所があった。それも華人用・韓人用と別々に。郷土を感じ、安定的な生活を得させるためだったそうだ。

 

 1935年ごろは業者と軍が契約したが、1943年ごろになると慰安婦と業者、業者と軍という構図があり、軍と慰安婦は関係ないという筋書きになるようだ。慰安婦は軍属扱いされたが、終戦と同時にその「身分」はあっけなくはぎとられてしまった。



 

林博史さんの講演より(神奈歴 2015年研究集会講演―HPより転載) 

 

 日本は、1937年野戦酒保規定を改定、「必要な慰安施設」を付加した。軍の公式の施設として慰安所を作ることを認めた。陸軍経理学校の教材にも経理係の任務として「慰安所の設置」というのがあった。鹿内信隆フジサンケイグループの最高指導者も陸軍経理学校で教わったと発言。中曽根康弘元首相も、慰安所をつくったと著書に記載している。

 

有馬理恵さんによる講演・朗読・一人芝居(8月15日)

 

おはなしとお芝居 「日本軍『慰安婦』問題とは」より

 

 今回のツアーのメインだ。

 観客は、李先生(2日目の講師)や韓さん、李先生の教え子たちと、私たち15人だけだったから、「超」がつくくらいのかぶりつきで見ることができた。


 ピンク色のチマチョゴリを着た有馬さんは、実年齢よりはるかに若く、「慰安婦」にさせられたころの本当のハルモニ達を想像させ、しかもその語りは見事にハルモニ達の悔しさや辛さ、悲しさを表現していた。演目は、


  1. 朗読「もう二度と繰り返さないために」 …「元慰安婦」だった方達の証言
  2. ひとり芝居「砕かれた花たちへのレクイエム」 …石川逸子作の作品を芝居化したもの。本当に「慰安婦」本人が語っているようだった。
  3. 朗読「最初の断罪―女性国際戦犯法廷の記録」…2000年に行われ、NHKの改ざん問題で有名な法廷の再現だ。但し、役者は一人だから、場所や声を変えて何役もこなしていた。


韓国ツアー 有馬理恵さんの講演・朗読・一人芝居
お話をする有馬さん

  芝居の素晴らしさは、見る人が追体験できるということだ。特に、本人が公に語ることが難しい今、前述したアニメのように、私たちが「慰安婦」のことを理解するのにはとても適していると思う。しかも芝居は肉声だから、より真剣に身近に感じられ、考えさせられる。

 

 朗読や芝居の合間、合間に有馬さんのお話しがあった。印象深かったのは、「慰安婦」を演ずることについてのお話しだった。

 市民が参加する2008年の憲法ミュージカルで、「慰安婦」を演ずるのは素人では難しいというドクター「慰安婦」を診察している)のアドバイスがあったそうだ。つまり、それを演ずるということは「慰安婦」と同じようにトラウマになるというリスクをも背負うということなのだそうだ。「慰安婦」たちは、「胸にささったままのナイフ」を持っている。しかも、そのナイフは腐らないし、抜けないし、証言の度に(胸を)えぐっていくという。

 

 しかし、有馬さんは演じる。「なぜ演じたいのか。」をスタッフと話し合い、観客と力を合わせてやればトラウマにならない。自分一人で頑張らなければ大丈夫ということだそうだ。役者とスタッフと観客とが、「伝えたい」「伝えてほしいのだ」という共通の思いを持つことによって、あのド迫力の「慰安婦」を演ずることができるのだ。

 もちろんそれだけであのド迫力は生まれてこない。有馬さん自身の生きざまや俳優としての「差別をなくしたい」という思いがあってこそだ。


 今回は、ツアーメンバーとして同じ釜の飯を食べ、同じところを見学し、同じ話を聞いたりしてきた。その中で、俳優として生きる道を選んだ彼女の平和を求め、差別をなくしたいという思いを学んだ。そして、良い環境を守りたい、母として子どもを守りたい、という一人の人間としての強い思いを感じた。また、体力勝負の役者として良く食べ、健康と美容に気をつけ、いろんな人とよく話し、分からないことは質問するというありのままの有馬さんを見ることができた。



 

有馬理恵さん (俳優)

 

 俳優座所属。日本平和委員会代表理事。10才の息子さんの母。

1999年から15年間にわたり、全国で484回『釈迦内棺唄』を演じている。高校生の時にこのお芝居と出逢い、それが人生を変えるきっかけになり、現在につながっているとのこと。

 父母の結婚を認めず、孫である理恵さんを拒否した祖父母のこと、祖父の軍隊経験(宮古島に乗りこんだ第28師団3万人を率いる司令部の情報参謀)、役者として生きていくことを決めたわけなどを講演では語ってくれた。平和に対する強い思いがびんびん伝わってきた。

 


(神奈川歴事務局 Y.N.)

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